学問の自由の敵・清水晶子(序:第二・一版)
序文
1.要約
2.学問の自由とは何か
本ニュースレターはここまでです。以後(その2)以降に続きます
3.日本学術界の上級国民:学術機関相互の権力勾配と政治力行使
4.あなたも没後に学者になっているかも! 批評家を学者扱いすること
5.代理話者を立て多数派を形成する世論誘導
(2023年4月3日追記:目次を変更しました。)
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序文
私のなかで危機感が高まっています、今年に入ってから風雲急を告げる事態の変化に追いつこうと、焦っています。先週末にも日本では SWASH による Colabo 潰し未遂、旧イギリス領では反ポージー・パーカー暴動など、悲惨な事件が続々起こっています。
前回のニュースレターで「1990年代から状況が変わらないと業を煮やして、トランスジェンダーの集団が女性を攻撃することは、テロリズムに他なりません。」と書きましたが、昨日2023年3月27日には Twitter で #TransTerrorism なるタグがトレンド入りしました。世界中考えることは同じなのだなあ、と複雑な思いで見ています。
長文になりますが、成人年齢の方なら学歴を問わず、読めば意味が伝わるように書いていくつもりです。ご意見を直接お聞かせくださっている方々に、心より感謝申し上げます。
さて、今回から清水晶子批判を始めますが、今回は大前提として日本国憲法第二十三条で保証されている「学問の自由」とは何か、ご説明差し上げます。学者の間では研究倫理として当たり前のことですが、アカデミズムに身を置かない皆さまには「こんなの間違ってる!」と受け止められる内容かも知れません。そこで順を追って、丁寧に序論を記します。どうぞお付き合いください。
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1.要約
学問の自由とは、政治や宗教、権力が学問に介入することを禁じる原則であり、日本国憲法第二十三条で保証されています。いかなる政治的立場を取ろうとも、学術研究機関外での言動活動を理由に、研究活動を弾圧してはなりません。第二次大戦前に日本を含む各国で、大学人事に国家が介入したことはよく知られています。それを防ぐためにも学問の自由は保障されなければなりません。
2020年9月28日、菅義偉率いる内閣府は、日本学術会議の会員のうち6名を任命拒否したことが後に明らかになり、メディアでも大々的に採り上げられました。ところが菅義偉を批判した人々には、同じことを行い、独立した研究機関の人事に圧力をかけた学者や言論人、ジャーナリストがいることはあまり知られていません。大学共同利用機関法人人間文化研究機構(https://www.nihu.jp/ja, 2023年3月26日閲覧)の下部組織、国際日本文化研究センター(https://www.nichibun.ac.jp/ja/, 2023年3月26日閲覧)の人事に、東京大学教授清水晶子を中心とした勢力が介入し、同センター准教授、呉座勇一を追放することに成功したのです。これは学問の死を意味します。
どれだけ意見が違っても、学問の世界では自分と相容れない学説を発表する権利は確保されなければなりません。繰り返しますが、そうでないと学問への政治介入を許すことになります。だから学問の死なのです。
呉座勇一氏がどんな政治的思想を持とうとも、どれだけ私生活で誹謗中傷や陰謀史観拡散を行っていても、彼が学者として発言する権利は確保されなくてはなりません。研究活動外の言動だからです。学者が政治家になる場合、その所属機関を辞さなければならない。それが研究倫理です。その意味では私は安冨歩やスラヴォイ・ジジェクの言動行動を批判します。(2023年4月3日追記:安冨歩は2023年3月31日に東京地裁で名誉毀損のかどで、民事訴訟に敗訴しています[2023年4月23日追記:民事訴訟なの、刑法犯ではないと御指摘をいただきましたので、ここにお詫びと共に訂正いたします]、ここで述べているのは、彼が東京大学を辞さずに参議院選に立候補したことを指しています。)
「間違っている」「呉座勇一は女性学者を Twitter のアカウントで誹謗中傷していたのだから、当然のことを清水晶子先生たちはしただけだ」「呉座勇一を放置しておく研究倫理こそ変わらなければならない」
こう思われた方は多数おいででしょう。ですがちょっと待ってください。
日本の学問の自由は2004-5年にかけて、本格的な破壊が始まりました。当時の東京都知事、石原慎太郎の決定で、東京都立大学が解体され、首都大学東京という別の大学が作られました。2020年には小池百合子現都知事が、大学名を「東京都立大学」と改称し、2005年の旧東京都立大学解体がなかったように取り繕われています。
政治による学問の自由の侵害です。
かつての東京都立大学は、古代ギリシャ哲学と中国史研究では日本一の水準を誇り、豊富な資料(アーカイヴ)を持っていました。その学部が事実上廃止され、資料も散逸、教授の「魔女狩り」も行われたのです。
皆さま、これについては「ふーん、そうか」と思われますか。「石原けしからん!」と憤られますか。「菅義偉より前にそんなことが!」と驚かれますか。
このように学問の自由については、学術界の外の方々にはあまり伝わっていないのです。そして清水晶子一派が、石原慎太郎や菅義偉と同じことを行ったとは、なかなかご理解いただけません。
学者にとっては生きるか死ぬかの大問題です。これを認めてしまうと、同じことがいつ我が身に襲いかかるか分かりません。まして政治家ではない学者が、専門が異なる学者殺しを挙行することなど、あってはなりません。それに同調した知識人、ジャーナリストたちも同罪です。
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2.学問の自由とは何か
おそらく多くの皆さんがご存知の例を挙げましょう。ガリレオ・ガリレイです。彼はカソリック教会により異端審問にかけられ、地動説を撤回するよう強いられました。
「それでも地球は回っている。」この言葉は一人歩きして、彼が学的信念を貫き通した、と誤解している人が日本では多い。ところが生前ガリレイは審問に屈し、地動説を撤回しています。
これが宗教による学問の自由への介入です。
ガリレイの地動説は後世の学者により支持され、今日の私たちが生活する基盤をなしています。ですが世界中が支持している訳ではありません。米国の一部の州を始め、義務教育で地動説や進化論を教えないところは多数あるのです。
「地球が太陽の周りを回っていると教えないなんてイカれている」と思われますか。
ここからが学問の自由の要諦です。学術世界では天動説を支持する権利を、是が非でも認めなくてはなりません。それを前提とした研究も数百年にわたり展開され、成果を挙げています。
自分と異なる学説を間違いと決めつけてはいけない。それを否定する学説をもって対抗するしかありません。そしてここが大事なのですが、誰も「私こそが正しいのだ」と主張してはならない。これが学問の自由の裏面です。自分が間違っていたことをその後の研究で修正するためにも、絶対守らなくてはならない研究倫理です。
それを無視して「地球は回っている」または「地球は回っていない」と教えろ、と強制する権利は、政治家にも宗教家にも、別の学者にもありません。
「ふーん、それで?」と思っている方は、上の「地球は回っている」「地球は回っていない」を「男には買春の権利はない」「男には買春の権利がある」に置き換えてみてください。
なるほど、と思いますか。でも納得してはいけません。「男には買春の権利がある/ない」は学術研究とは異なる、社会倫理規範の問題です。この置き換えは成立しません。
ここを間違えるから、学問とは何かを理解していただけないのです。
いま日本で「大学」「研究機関」と呼ばれるものには、文系理系を問わず3種類の研究があります。
まず科学(science)。純粋に真理や理論を追求する分野のことです。ガリレイの天動説も、エマヌエル・カントの哲学も、歴史学やバトラーの文学批評理論も、科学に入ります。
次に応用科学=工学(technology)。科学の成果を用いて何ができるか、研究します(institute)。アインシュタインが中性子を発見したのは科学研究で、それを使って核兵器や原子力発電所を作ったのは応用化学=工学の仕事です。
第三に、日本語ではうまい訳語が今もってないので、ここではスクール(school)と便宜上呼びます。資格を取るために知識を得る分野です。弁護士になるための法科大学院(law school)、公認会計士になるための商学部や経営学部(school of commerce)などです。ここでは真理の探究は行われません。法学自体は学問として科学に入ります。医学も同様で、医師免許を取る目的であればメディカル・スクール、医学そのものの探求は科学です。
3つの分野が共通して守る倫理原則は価値判断をしてはいけないことです。
たとえば「髪の長さは10センチメートルだ」と分かる。これは学問の成果です。「10センチメートルの髪」が「長い」のか「短い」のか。これは学問と無関係なことで、社会生活を営む個人の、集団の価値判断に委ねられます。学問はその判断に関わってはいけません。研究倫理用語では「イデオロギーを含んではならない」原則と呼びます。
第二の原則に移ります。科学上の発見を、学者の私生活を理由に抹殺してはなりません。
仮にガリレイが児童レイプ犯だったとします。だからと言って地動説がなかったことにはできません。
ここが政治家や言論人と決定的に異なるところです。
現実に、なぜか社会学で理論としてその読解が用いられるミシェル・フーコーという批評家は、アルジェリアなどの旧フランス植民地で、少年買春をしていたことが明らかになっています。だからと言ってだれもフーコーの周縁化による読解を無効としません。いまも使われています。フーコーの言説については、いずれ詳しく御説明しますので、いまは「ふーん、そんな人がいるのか」と読み流しておいてください。
人格と研究成果は分離される。これが研究倫理です。
なので、仮にガリレイがだれかのことを中傷して、言いふらしていたとしても、天動説が正しい理由にはなりません。
察しの良い方はお気づきでしょう。イデオロギーを語りたい学者は、論文ではなく本を書きます。なので著書は、論文集の場合を除き、研究成果に数えません。
もう少し詳しく言いましょう。論文を発表するには、同じ専門の学者による査読が行われます。イデオロギーが含まれていた場合、その論文は書き直し修正を求められるか、掲載不可となります。一般書籍にはこの査読がないので、言いたいことを言えます。
宮台真司は学者ですが、売買春合法化の提唱はイデオロギーなので、研究成果ではないのです。
翻るに、どれほど性格が下劣でも、人格に問題があっても、その学者が研究活動を行うことを妨げてはなりません。例外は最低でも3つです。
(1) 重大な刑法犯罪を行った場合。
(2) 史料・資料の捏造を行った場合。
(3) 別人の研究成果や、自分の過去の研究成果を、新しい発見として発表した場合(剽窃)。著作権を侵害していなくても不正行為になります。
倫理的善悪は別として、(1) は学者が存命中で、かつ大学や研究機関に現職として勤務している場合にのみ適用されます。フーコーの少年買春は没後に明らかになったため、彼の成果はいまも有効です。(2) と (3) は学者の没後であっても適用されます。
セクハラで解雇される研究者は (1) を破っています。研究費の不正使用も同様です。
世界を騒がせた STAP 細胞論文は (2) を破っています。
(3)は日本ではまだ徹底していません。日本語が少数言語なので、AI による剽窃判定が遅々として進まないためです。欧米では AI 判定で剽窃が判明し、博士号を取り消される例が続々出ていることを知って置いてください。
他にも最近には要件が出ています。米国のハーバード大学では教員と学生の恋愛を学則で禁止しています。破った学者は懲戒解雇です。
こうした重篤な倫理規定違反がない限り、どれほど奇矯なデマを流そうが、一般書で陰謀史観をまき散らそうが、研究者は所属の大学や研究機関を免職されてはなりません。
「そんなの絶対おかしいよ!」という声が聞こえてきます。「新たな要件を加えて、呉座勇一の解雇を求めるのが正しいように、アカデミアが変わらないと!」と声を挙げておられる方もおいででしょう。
間違っています。断じてそうしてはなりません。
これがありになると、「あの学者は買春合法化に反対しているからクビにしろ」と署名を集め、失職に追い込むことを認めることになります。「あいつは○○党員だからあの大学から追放してやれ」というのも正当になってしまいます。
学者の思想信条嗜好と、学術研究活動は別にしなければ、政治的圧力で意見が異なる学者を抹殺することが可能になってしまいます。これは石原慎太郎や菅義偉が、学者を潰したのと同じ行為なのです。
ですから、私は有馬哲夫を解雇するように早稲田大学に圧力をかけることに反対します。有馬の仕事を私はまったく評価しません。世評の高い『原発・正力・CIA:機密文書で読む昭和裏面史』(新潮新書、2008年)も、サクラメントの公文書館史料以外、巻末に膨大な参考資料が並んでいるのに、本文の引用出典が不明確なままで、主観と客観が判別できません。論文なら絶対査読を通りません。それでも学者として彼が活動する権利は担保されなければならない。彼の書籍は学問の研究成果ではないからです。そうでないと、いつ私自身が「こいつ気に食わないから辞めさせてやろう」と標的にされるか分かりません。学問の自由とはそういうものです。
この研究倫理を清水晶子たちは破りました。
実は私が清水晶子の名を知ったのは、彼女が SWASH に関わっていると分かる前でした。呉座勇一解雇という、東京大学教授という権力を行使した学問の自由侵害が大問題になり、その中心人物だと聞かされ Wikipedia で調べ、「ああ、これ今時のダメな学者の典型的なやつじゃん」と吐き捨てていました。それでも私は清水晶子が懲戒解雇に値するとは考えませんでした。学問の自由の危機に慄いていただけです。
それが政治的思惑だと知らなかったために。クロード・ランズマンやショシャナ・フェルマンのような、権力で他者を黙らせることを目論む、学者の風上にも置けない存在だと気付かなかったために。
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SWASH に税金投入を阻止する一庶民
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